振り返ってみて、今だから言える「上司の心得」
会社員時代の最中では見えなかったものが、時間が経過した今だから見えてくる。
私の管理職・上司としての苦い経験と、その後の顛末を「論語」の成句と共にお伝え致します。
初めて部下を持った時
地方勤務を終えて本社工場部門の原価計算課に帰任した。
右も左も分からない異動先にも関わらず係長を拝命したのが29歳。
人事評価の権限は無かったものの預かった部下は3人。
とにかく上司の課長から指示される新しい業務を、言われるがままに自分自身でこなした。
まずは自分の新しい業務を理解しようと必死で、部下の面倒を見る余裕は無かったし、正直言ってその責任も感じていなかった。
半年ほど経って自分が属する係全体の業務が見えてきた後も、部下には仕事を任せず自分で対応する日々。
ふと気づくと部下は帰宅し、夜更けのオフィスに1人残業に没頭している自分に気付く。
仕事を自分でこなし、成果を自分の力で生み出している充実感に浸りながらも、何か虚しさを感じた矢先だった。
気付き
その翌朝、上司の課長から別室へ呼ばれた。
上司:「工場へ赴任してから半年くらい経つけど、仕事はどう?」
と言葉は優し気だったが、目がそうでは無かった。
私 :「やっと何とか業務がこなせるようになりました。」
上司:「そうか。よく1人残って夜遅くまで頑張っているようだけど。」
私 :「はい。まずは自分で理解した上で、と考えていたので。」
課長の意図が少しずつ分かりかけてはいたが、こう続けた。
私:「部下の3人は原価係での経験は私よりは長いですが、経理マンとしての知識が乏しいのが現状です。課長から下りてくる仕事を任せるのはまだ無理かと思い、私が対応しています。」
うん、と少しうなずいたものの課長の表情は強張っていた。
上司:「砂村、お前が頑張って仕事をしているのは分かっている。しかしお前1人で一体、何人分の仕事をこなせると思っている? 手持ち無沙汰で暇そうにしている部下の状況をお前はどう見ているのか?」
私: 「はい、3人分はちょっと無理でも2人分くらいなら….」
と自信ありげに答えた後の上司の言葉が心に刺さった。
上司:「お前は部下たちの成長の機会を奪っていることに気が付いていないのか?」
その後
「部下の成長の機会を奪っている」という課長の言葉には、頭をガーンと殴られた気持ちだった。
課長の助けになるように、先ずは自分が一生懸命に仕事をこなすことが重要と信じて頑張って来たが、それが裏切られた気持だった。
しかし一方、このまま自分一人では、係全体の業務が回らなくなることをうすうす感じ始めていたのも事実だった。
この ”事件” があってから私は、自分で仕事をこなす、という態度を少しずつ改めるように心がけるようにした。
しかし「言うが易し、行うが難し。」生来自分のやり方でやりたい、コントロールしたい性分なので、仕事を手放すことは容易ではなかった。
そこである心構えを自分なりに打ち立てることにした。
ある仕事の担当を決める際に「自分自身で対応するか、部下に任せるかを迷ったら、部下へ任せる」と心に決めた。
論語からの引用
論語に「君子、器あらず」という成句がある。
「もっと器が大きな人間になれ」とか「あいつは器が小さい」と表現することがある。
しかしこの成句の意味は「そもそも君子は器ではない」であり、君子自身が器であるより、器を使うのが君子だ、と孔子は語っているのだ。
成果を上げようと管理職自身が努力することは必要ではある。
しかし組織のリーダーや管理職の役割は何であろうか?組織内にいる「才」のある者や能力開発が必要とされる者の力を引き出し、組織としてチームとして成果を上げる。
「お前1人で一体、何人分の仕事をこなせると思っているのか?」という課長の言葉が今でも耳の奥に残っている。
まとめ
- 仕事は自分一人でやるものでは無い。
- 上司の仕事は、仕事を通じて部下に経験とスキル向上の機会を与え、チーム全体で成果を上げること。
- 自分がやるべき仕事なのか、部下に任せる仕事なのか?この見極めは重要。
- 期待する部下には思い切って任せつつ、完遂するまで継続的に支援する心掛けが人を育てる。
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