「不確実性」と「可能性」は表裏一体
いつもブログを読んで頂き、ありがとうございます。
早いもので師走ですね。年を重ねるごとに、時の経つのがだんだん早くなるように感じます。
つい2週間くらい前に、1月を迎えたような感じすらします。
それだけ充実した日々を送ってきたと思いたいですが、さてどうかな?
以前ブログでも書きましたが、今秋、ある大学の研究室に招かれ、学生とじっくりと話す機会がありました。
教授をしている知人から相談を受け、学生たちの不安、特にキャリアや将来についての相談に乗って欲しいと。
10人ほどの学生と話をしましたが、共通するのは「不確実性」への不安だと感じました。
誰もが不確実な将来に不安を感じます。
特に今年の世界情勢は政治も経済も揺れ動きましたので、そのように感じるのは当然でしょう。
今回は、「不確実性」について考えたいと思います。
不確実なのは、選択肢があると言うこと
今年1月、私は決意しました。2つの資格を取るために勉強すること。結果は1勝1敗。
仕事をしながらの勉強は簡単ではありませんが、時間を作っては取り組んできました。
なぜそんなことを年初に目標として掲げ、取り組んだのか?
それは、先の見えない不確実な自分の将来を、興味のあることに取り組み、可能性を広げ、前向きに生きたいと思ったためです。格好つけた言い方になりましたね。
どうでしょう?皆さんにはこれまでの人生の中で、「確実に約束された選択」って、どれくらいありましたか?
私は不安を抱え、迷った時には、必ずこう自分に問いかけます。
すると、「そうか!そんな確実なもの、一つも無かったな。」と気づくのです。
不確実だからこそ、選択肢がある。右に行くか?左に行くか?どちらに行くのも不確実なこと。
でも、自分自身でそのが選択できると言うことは、幸せなことだとも感じます。
やった後悔とやらなかった後悔
人には2種類の後悔があるそうです。
「やった結果としての後悔」と「やらなかったことで回顧される後悔」。
その割合は、前者が5%、後者は95%だと。
これはアメリカの経営者が語った言葉で、私にとって非常に印象的な言葉です。
行動を起こして、うまく行かなかったことは、後悔ではなく反省として次のチャレンジに繋がる。
しかし、やらなかった後悔は、ずっと長く引きずってしまい、次への行動すら躊躇させる。
野球に例えるなら、同じ三振なら、見逃しではなく、空振りの方が良い!と言うことです。
だから、何かの選択で迷った時は、前に出るように心がけています。
前向きな行動の結果の失敗であれば、単なる失敗ではなく、経験としての財産となる!
今を生きる、今を楽しむ
先日「DIE WITH ZERO」と言う本を読みました。
「人生が豊かになりすぎる究極のルール」との副題がありますが、要はこの世を旅立つ時は、やりたいと思うことを全てやり切った後で。目一杯に人生を楽しみ、思い出を作るべき。
今この瞬間のかけがえのない人生を楽しむべきだ、と言った内容です。
この本で印象的だったのは、多くの人が将来の不安を理由に、お金を稼ぎ、資産を増やすことにばかり関心が向き、それを使って自分の人生を楽しむこと、思い出を作ることが二の次になっている、と言うこと。
将来の不確実性に目が向くあまりに、今を楽しめていない。
「ギクッ!」とするようなメッセージに感じました。
皆さんは、今を楽しめていますか?
まとめ
先日、アメリカに留学していた時の同級生から、久しぶりにメールをもらいました。
彼女はコスタリカ出身で、ワールドカップの日本との試合をテレビで観ながら私を思い出し、連絡してくれたのです。嬉しいですね。試合は日本が負けてしまいましたが。。。
アメリカの某ニュース番組でディレクターをしていたその彼女は、とてもリーダーシップがあり、明るく、そしてサルサ・ダンスもうまい。
22年前、私は自分の将来に不確実性を感じ、不安を抱えながら留学する決断をしました。
このことは、さまざまな経験と数多くの友人を引き合わせてくれました。
先の友人も、この決断をしなければ、決して出会えなかった友人です。
あの時決断していなかったら、「やらなかった後悔」をずっと引きずっていたことでしょう。
毎日に感謝して、今を楽しみましょう!不確実性と可能性は、表裏一体!
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!