『老子』にみる一流のリーダー像とは?
先週に引き続き、今週も『老子』から、「リーダーのあり方」について紐解きたいと思います。
先回のブログでは、「上善は水の如し」を取り上げ、リーダーのあるべき姿として、水のように「柔軟性」と「謙虚さ」を合わせ持つことが大切である、ということを個人的見解として述べました。
実は『老子』の中では、もっと明確に「リーダーとはかくあるべき」という箇所が存在しています。
今日はその箇所を取り上げたいと思います(守屋洋 『世界最高の人生哲学 老子』 より)。
最も理想的な指導者(上司)とは?
太上(たいじょう)は下これあるを知る。
その次は親しみてこれを誉(は)む。
その次はこれを畏(おそ)る。
その下はこれを侮る。
最も理想的な指導者は、部下からことさら意識されることはない。
それよりも一段劣るのは、部下から敬愛される指導者、
さらに劣るのは、部下から恐れられる指導者、
最低なのは、部下からバカにされる指導者である。
最も理想的な指導者(上司)は、部下から「ことさら意識されることはない」とあります。もう少し詳しく言うと、部下はその存在を知ってはいるものの、それを負担に感じることもなければ、有り難いと感じることもない、ということです。
現段に置き換えれば、部下が上司の存在を感じないと思えるほど、上司は存在感を消し、部下が思い切って働けるような環境を作っている、ということになるでしょうか。
『老子』ではこれを「最も理想的な指導者」としているわけですが、私はこの意見に賛成ではあるものの、一部で異なった見方をしています。
それは、「上司のあり方には段階があるのではないか」ということです。
上司のあり方には段階がある?
ここで、組織の形成ステップである『タックマンモデル』を取り上げ、そこに、この『老子』の一文を照らし合わせてみたいと思います。
すなわち、形成期~混乱期にかけては「部下から恐れられる上司」が、混乱期~統一期にかけては「部下から敬愛される上司」が、統一期~機能期にかけては「部下からことさら意識されない上司」が、それぞれ必要になってくるのではないか、ということです。
リーダーにとって、このような時期が訪れれば、自ずとそのようなリーダーに変化していくのかもしれませんが、一方で、リーダーがそれぞれの期においてこのようなスタンスを取ることを意識すれば、組織というものは順調に形成されていくのではないか、と考えられるのではないでしょうか。
あなたの組織は今、どの時期に差し掛かっていますか?
そして、あなたはどんなリーダーになろうとしていますか?