今、リーダーシップを見つめ直す
いつもブログを読んで頂き、ありがとうございます。
コロナ禍によって働き方に大きな変化が起きて、早くも2年が過ぎました。
日常のコミュニケーションは大きく変わり、リモートによる直接顔を合わせない繋がり方が、一気に広まりました。
これは便利である一方、さまざまな弊害もありますね。皆さんも感じられていることと思います。
そう考えながら、リーダーシップの取り方が大きく変わったことに気づきました。
私自身の経験や反省も含め、リーダーシップについて考えてみます。
勘違いのリーダーシップ
最近、先のような環境の変化に伴いコミュニケーションの改善が求められ、リーダーシップとはどうあるべきかと語られることが多くなったと思います。
洋の東西を問わず、権限や地位を手に入れると傲慢さが目立ち、自己中心的な見解が多くなるようです。
このような謙虚さを失ったリーダーに対して、部下(フォロワー)には連帯意識を感じず忠誠心を失い、結果としてチームの成果も出なくなります。
このようなリーダーは視野が狭くなり、排他的になり、やがて孤立し孤独な存在となり、まるで裸の王様のように見えてしまいます。
では、なぜリーダーはこのような負のスパイラルに陥りやすくなるのでしょうか?
一説には、「自らの能力を著しく過大評価する」からだそうです。
ここまで書いて、「ん?他人事ではない。これは自分のことかも?」と思い直しています。
恥ずかしいですが、自分の経験を紹介します。
求められているリーダーシップって何だろう?
以前勤めていた会社で、LTメンバーだったことがあります。
LTとはLeadership Teamの頭文字で、組織運営、経営に関する検討や意思決定を行うチームです。
事業部門の責任者であり、会社全体の経営課題にも関わる私は、上述したとおりの「自らの能力を著しく過大評価する」リーダーだったなあと感じます。
その頃、素直さと謙虚さを忘れずにメンバーと接するように気をつけていました。
しかし、「俺がこう思うのだから従え!」、「余計な意見は言うな!」などと、腹の中では思っている自分も確かに居たのです。
善の自分と悪の自分が表裏一体となっていたのでしょう。
そんな経験を通して思うのは、「耳に痛い意見を言う人の言葉に、敢えて聴く耳を持つ」ということ。排除せず、勇気をもって聴き、受け止める。
私はこれができる人は、「強さ」という能力を持った人だと思っています。
このような意見を聴かないと、結局誰も意見を言ってくれなくなり、独りよがりの裸の王様になってしまうのでしょう。
小柄の偉大なリーダーとの出会い
毎朝散歩をしながらゴミ拾いをしていることは、これまでにも何度か書きました。
そこで出会ったおじいさんのことをお伝えしたいと思います。
シルバー人材センターに所属するその方 Sさんは、小学生の登校時の交通整理をされていました。
いつからか、朝会う度に挨拶をするようになりました。小柄のSさんはとても明るく、毎朝元気を頂きました。 私はSさんの行動に、とても強いリーダーシップを感じたのです。
私以外にも、通勤・通学で通る人たちに、笑顔で挨拶をし、交通整理をして子供たちの安全を守っている。
権限?地位?本当のリーダーシップは、関わる人たちに元気と勇気を与え、安全と安心、生きる喜びを与える人ではないかと思うからです。
Sさんは、先月末で引退されました。認知機能が弱くなり、子供たちに万が一のことがあったらいけないから、と。
小柄のおじいさんの背中に、潔さと強いリーダーシップを見たのです。
まとめ
本当に偉い人ほど、偉ぶらない。社会に出て、たくさんの経験をし、多くの人と出会った経験の中で思うことです。
リーダーとは偉いのではなく、役割と権限を与えられた存在だと考えます。だから、あぐらをかくのではなく、足を動かしましょう。
そして最後に、リーダーシップは職場や組織の中にだけ存在するものではないですね。家庭でも、コミュニティーでも、友人関係においても存在し得るものです。
誰もがリーダーたり得るのですから、自らの存在や役割に自信を持ち、発揮しましょう。