指を自分に
お恥ずかしい話ですが、先日「何で、そんなことを言われるんだろう」という思いをしました。
私の心の中には、「信頼し合っていると思っていたのに」「いいコミュニケーションが取れていると思っていたのに」「何も伝わっていなかったのか」・・などがぐるぐる廻り出し、「こんな仕打ちは酷い」という感情も湧いてきました。
とりあえずその場は形だけ受け止め、別途時間を取るということで治めました。
他の仕事をこなしてから、あるメンターの言葉を思い出しました。「指を自分に」です。
そう言わせた自分がいる
時間をおいて考えてみました。なぜその様なことになり、その様な発言されたのか? 冷静になれば見えてくるのに、すっかりその時は見失っていました。
必ず相手にはそうする理由がはず・・ということを、人のことだったら気がつくことも自身のことだと見えていない。
その場で思いつかなかった未熟さも思い知らされることになりました。
「何で、そんなことを言われるんだろう」には、そう言わせた自分がいるのです。
それはなんだったかに気づかなければ、ぐるぐる負の感情が回るばかりで前には進めません。
これは誰が正しいかとか、場合によっては相手の身勝手とか、非常識とかあるかもしれませんが、それは関係がないのです。
正しいかどうかなどは別にして、言わせた理由を考え理解する必要があります。
相手を責めて、相手が変わることはない
そう言わせた自分がいると気づき、「指を自分に」向けて考えると、この時の私は「相手の立場を貶める発言をしていた」と思うに至りました。
事実を伝えたいという正当性から、言った言わないにならない様にと、相手の発言を再現して話をしましたし、正当であること、公平さを求めるあまり、相手の立場をわきまえていない発言をしていたのです。
たとえ思いが公平さであったり、お互いを良くしようということであっても、相手にその要求をわかってもらおう、押しつけようとしていなかったか・・・相手を責めていなかったか・・・答えは一目瞭然。
言葉をどう繕っていても、相手がその様に受け止めてしまう様なことをしたのは私です。
相手を責めて、相手が変わることはないとわかっていたはずなのに。。。
向き合ってみる
今回のことをきっかけに、改めて自身に「向き合ってみる」ことにしました。わかっているつもりでも、忘れてしまう自分に気づかされたからです。
自身の正しさを主張してしまうクセも受け入れて、日頃の言動やあり方に向き合ってみようとも思いました。
つい忘れて指を相手に向けていないか、相手に変われと言っていないか。
相手との関係性が うまくいった様に見えても、相手が変わることはないので常に自身に「向き合ってみる」・・なかなかできないけれど、「指を自分に」この努力はし続けたいと思います。
まとめ
「指を自分に」を教えてくださったメンター大久保寛司さんは、「あり方で生きる」(エッセンシャル出版社)で、自分の人生にマルをつけられますか?と問われています。
自身のあり方を見つめ直し心の原点に戻ることで、自分も周りも幸せにする「生き方」ができるようにと書かれた本です。
私のバイブルでもある本をここに紹介させていただきます。