
コミュニケーションの本質は「聞く」ことである
いつもブログを読んで頂き、ありがとうございます。
いきなり仰々しいタイトルを掲げました。ふと手にしたビジネス書の中に見つけた論考のタイトルです。
いかにも、現代に生きる私たちに必要と思われるテーマですよね。 ところが、これはK. ロジャーズという心理学者が1952年に書いたもので、70年も前のものです。
そのまま、現代が抱える課題にも応えるようなタイトルですね。ここで推測できるのは、人間が抱える問題、とりわけ、人と人とのコミュニケーションは、新旧を問わず変わらぬ課題なのだと気付かされます。
まさに、温故知新! 今回は、誰もが課題として抱え、時に心労を招くコミュニケーションについて考えます。
コミュニケーションの阻害要因
私たちが悩み、心身共に疲れ果てて活力を失い、心身症などの身体的な症状を患うようになる。
このような望ましくない現象はなぜ起こるのかというと、欠落したコミュニケーションによると考えられます。
コミュニケーションとは、本来は複数の人間同士が平等に意見や情報を交わし、理解し合うことです。
しかし、平等さが欠落すること、つまり、一方的な情報や要望の押し付けによってコミュニケーションのバランスが崩れ、押し付けられる側は心身ともに不調を来すようになります。
このバランスを崩したコミュニケーションは、一方的に「判断」をしようとすることによってもたらされます。
自分が考えること、思うことは正しいと疑わない。ここまで極端でなくても、誰しも、自分で考え、判断し、意見として表現します。受け手にとってはこの「判断」は、勝手な決めつけかも。
この「判断」することを抑え、相手の話を聞くことで、コミュニケーションはぐっと改善できるのも事実です。耳の痛い方も多いのでは?
エンプティー・チェアが語りかける
心理学で実践するワークに、エンプティー・チェアがあります。「(もう一つの)空いている椅子」です。
自分が座る椅子の隣に、もう一つの椅子を置きます。そこに、対話をする相手の立場になって座り、自分自身が語りかけた言葉をどのように受け止めるかを想像するのです。相手の立場に立って考えるのです。
椅子を置くだけ?と笑う人がいるかもしれませんが、これがなかなか凄いのです。
座る位置と目線を変えることで、ぐっと相手の気持ちに近づいていく気になります。自分が示した考えや姿勢を相手はどのように受け止め、感じとったかを察します。
たったこれだけですが、自分との深い対話になり、少しは謙虚な気持ちを取り戻すことができるでしょう。
そして誠実で正直なコミュニケーションを果たすことができるようになると考えます。
自分のことを見てくれている人がいる
最後に、20代の私自身を振り返ります。当時の私の仕事は、季節によっては徹夜も辞さないハードワークでした。
役所との仕事で時間に追われ、契約要求に沿った見積りを行い、資料をまとめる。時に徹夜で行う仕事でした。
とにかく必死で手を動かす私を、ずっと見守ってくれる上司Yさんがいました。その方は、私が行う実務には手を出しません(本音では、少しは手伝ってくれ!と思っていましたが)。
でも、朝方まででも見放さず、支えてくれました。 ある時、イレギュラーな契約仕様の仕事に取り組むことになり、しかもものすごい金額の契約。
手をこまねいていた私に、「責任は取るから、思ったようにやってみろ!その代わり、精一杯やるんだぞ!」と言い、任せてくれたのです。
Yさんのコミュニケーションはいつも、「えじ君(私のこと)、君はどう思うんだ?」でした。一方的に決めつけるのではなく、まず私がどう考えるかを確認した上で会話をする上司でした。
今思い出しても、決めつけないコミュニケーションを取られていた、私にとっての良い手本です。既に天国に召されてしまいましたが、今でも感謝の思いを抱く恩人です。
まとめ
過去数十年も、私たちはコミュニケーションに悩み続けてきました。でも意識をすることで、改善できるものです。
職場や家庭でコミュニケーションに悩まれている方も多いと思います。そんな時は、私たちメンターの存在も思い出して頂けたら嬉しいです。