『論語』にみる「バランスの取れた人物」とは?
年末年始の休暇中、空き時間に読書をしようと思い、久々に『論語』(『論語と孫子』 守屋洋 PHP)を読み返しました。
今日のブログでは、その中で、ふと目に留まった一節についてご紹介したいと思います。
孔子はバランスの取れた人物だった
子(し)は温にして厲(はげ)し。威ありて猛(たけ)からず。恭にして安し
(先生は、温かさの中に厳しさがあり、威厳がありながらしゃちこばったところがなく、謙虚でありながらわざとらしさがなかった)
弟子たちが孔子について語った言葉とされています。
この言葉から、孔子は非常にバランスの取れた人物であった、ということをうかがい知ることができます。
ちなみに、『論語と孫子』著者の守屋氏は、孔子は人並み以上に苦労を強いられて育ったが、それに屈することなく、苦労を糧として自分を磨いていき、その末に辿り着いたのが「バランスの取れた人物像」であった、と語っています。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」の真意とは?
この言葉を一度は耳にしたことのある方も多いでしょう。ただし、意味としてはピンと来ていない方も多いかもしれません。
実は、この言葉は、下記の一節が元になっています。
子貢問う、「師と商と孰(いずれ)か賢(まさ)れる」。
子曰く、「師や過ぎたり。商や及ばず」。
曰く、「然(しか)らば則ち師愈(まさ)れるか」。
子曰く、「過ぎたるは、猶(な)お及ばざるがごとし」
(「子張と子夏とどちらが優れているでしょうか?」 子貢という弟子に尋ねられて、講師はこう答えた。「子張は行き過ぎている。子夏は不足している」 「では、子張のほうが優れているのですね?」 「いや、そうではない。行き過ぎも不足も同じようなものだ」)
この中で、孔子は「過ぎてもいけないし、及ばないのもいけない」と結論づけており、ここでも孔子は人物像についてバランスを重視していた、と見ることができます。
ビジネスパーソンにも必要なバランス感覚
『論語』のこれらの言葉に触れたことで、私が20代後半~30代前半の時、仕事のプロジェクトチームでご一緒した先輩によく言われた言葉を思い出しました(当時、私はメーカーの開発営業という、客先と社内の設計・開発部門の橋渡し的な仕事をしていました)。
「大石ちゃん(←当時、その方からはこう呼ばれていました)、ビジネスで大事なことはバランス感覚(を持つこと)や」 当時、私は、この言葉を耳にしてから、社外にも社内にも配慮する、いわゆる、全体のバランスを重視した営業スタイルにシフトしていった記憶があります。
そして、結果として、担当部門において受注案件が大幅にアップしていきました。
まとめ
儒学の伝統的な中心概念として「中庸(過不足なく調和が取れていること)」という言葉がありますが、今日ご紹介した『論語』の一節は、「バランスの取れた人物(を目指す)」ことが、人としてもビジネスパーソンとしても重要なことである、と教えてくれているような気がしています。